« 2011年12月 | メイン | 2012年02月 »

2012年01月26日

海外旅日記8 Europe 2003 <2>

10月2日
やばい!始まる前になって、強烈な頭痛。
ふだんほとんど頭痛とは縁がないのだが、やはり緊張しているんだろうな。
コンサートでは案の定、少し固くなっていて、やや消極的な演奏になってしまった。
ただ、観客の反応は良く、映像が浮かんでくるような演奏だといわれた。
このカルテットは、私以外のメンバーは、それぞれ各自の楽器に加えて、エレクトロを使う。ピアノだけの私は、この編成の中でどういう演奏をすればいいのか・・・
今まで日本では、作曲したメロディーを基に即興演奏することが多かったが、メロディーは弾かないでとリハで言われたし・・・どういうコンセプトで、どういう演奏を期待されているのか、いまひとつわからない・
問題は言葉。日常会話といっても日常会話をどうにか話せる程度の私の語学力で、演奏上の突っ込んだ話は、とてもできる段階ではないのがやや不安材料ではあるが、まあ、これから約2週間のツァーの中で演奏しているうちにつかめてくるだろう。(と願いたい・・・)




次の日はオフ。
朝起きて、キッチンに下りていくと、ここの住人のひとり、レストランで働くコックのMiss..
Aが 口笛を吹きながら料理をしていた。彼女は私に、チーズとポテトでつくるスイスの料理、ロシュティーをごちそうしてくれた。
昼は、メンバーのひとり、Mが自宅で一緒にランチを食べようと招待してくれた。
市電に乗ること15分くらいで、彼女のアパートへ到着。
アパートは、4世帯でシェアする庭付きの大きな一軒家。広い庭は 住民が共同で手入れし、使うのだそうで、外のテーブルで食事したりすることもあるらしい。
Mの部屋には、日本のものがいっぱい飾られていた。
ランチは、ラックレット。ステーキのようなチーズのかたまりをあたためて食べるスイス料理だ。
アパートへ戻ると、住人たちがみんなで夕食をこしらえ待ってくれていた。
料理は、チーズフォンデュ・・・!
え~っ!?またチーズ・・・!!
そう、みんなそれぞれスイスならではの料理を準備してくれたのね・・・
チーズ三昧の一日!!
あとでメンバーに話したら、スイス人でもそんなに一度にチーズは食べないよと笑われた。




10月4日
そのころ私にとって即興とは、自分の既成概念を壊すひとつの手段だった。
和楽器や他の分野の表現、絵とのコラボレーションなど、ある意味ミスマッチな組み合わせで、いままで自分の中に蓄積してきた知識では対応できない状況を作り出し、そこに身を置くことで、新たな表現が生まれるのをながめるのがなによりも楽しかった。
そこで大切なのは、その時その場にある材料で、如何に最高の瞬間を作り上げるかということで、即興演奏家として自分を表現する方法は、まだ十分確立していなかった。

今日はいよいよ出発ということで興奮したのか、朝早く目を覚ます。
6:00ごろ起き、荷造りをし、キッチンに行くと、Pがサンドイッチをつくっていた。
黒パンにバターとレバーペーストを塗り、ニンジンをはさんだ質実剛健なものだ。
眺めていると、”It’s your’s”といって大きなかたまりを2ピース渡してくれた。
8時すぎ、Bernからチューリヒへ行く列車に乗り込む。自由席なので、それぞれバラバラに空席を見つけ座る。ホームには、別の列車から降りてきた若い兵士たちの一団が見えた。まだ少年のあどけなさが残る。
列車の中で驚いたのは、子供のために小さな滑り台やスペースが設けられていたことだ。
お父さんが 子供を遊ばせているのを横目に見ながら、Pお手製のサンドイッチを食べる。ニンジンを食べる音が、静かな車内に響く。
チューリヒでオーストリア行きの列車に乗り換え。
車の向こうに美しい湖が見えてきた。
興奮した私が「わ~!あれな~に?!」とPに聞くと、「Lake」という答え。
「そう、珍しくないのね~ 彼らにとっては・・・」
オーストリアの国境を越えると、オーストリア人の団体が乗り込んできた。
ヨーロッパの人たちは、言葉の種類、アクセントでどこの国の人か、簡単に見分けることができるようだ。とにかく彼らが乗り込んできて、今まで静かだった車内は一変。
急にお祭りのように賑やかになった。片時もしゃべりやまない。
う~ん、国民性でこうもちがうとは・・・同じスイスでも、フランス語圏とドイツ語圏ではだいぶ雰囲気が違うということだった。

夕方になり、ようやくオーストリアのウィーンに到着。
アウトバーンを車で1時間ほど走り、今夜の演奏会場に到着に着く頃にはあたりはもう真っ暗になっていた。
この夜、私は、生涯忘れることのない苦い経験をすることになる。

食事を終え、いよいよ本番かというとき、「今日はピアノソロから入ろう」といわれた瞬間あがってしまって頭の中が真っ白になり、不本意な演奏になってしまったのだ。
ミゼラブル・・・・
演奏後は、しばらくの間誰も私に近寄ろうとも話しかけようともしなかった。
ようやくPがやってきて、「まだ2日目じゃないか、チャンスはあるよ。」と声をかけてくれるが、ますます悲しくなる。まだ、2日目・・・・・
2セット目はまあまあの出来だったが、今更ながら、今の自分の実力を思い知らされる。
とにかく、できることとできないことをはっきりと認識すべきだと心に刻みつけ、明日からの対策をたてる。
あまりのみじめさに、眠くなってきた。



10月5日
朝6:30に起き、なんとなくみんな無口で車に乗り込む。
7時過ぎ列車に乗り、それぞれバラバラの席へ。
昨日の列車の中の雰囲気とは大違い。
私は、被告のような気分でしばらくしょんぼりしていたが、そのうち、なんだか可笑しくなってきた。惨めさも極限に来ると笑えて来る。
仕方ないじゃない。こうしかできないんだもーん!と思ったら、開き直れた。
「よし、毒食わば皿までだ」スーツケースを開けて、昨日の演奏を聴いてみる。
あれっ?意外といいじゃん。観客のリアクションはともかく、音は悪くなかった。
相手の望む音を出そうと気を使いすぎた嫌いはある。
Hたちが座っている席に行き、「意外と良かったよ!きのうの録音聞いたら。」と言うと、雰囲気が和らいだ。
確かに演奏しているときは五里夢中。ちょっとした動揺、リアクションでヨレヨレになってしまうけど、結局大切だと思ったのは、Confidence.
良くも悪くも、自分のすべてを受け入れることから始まるのかもしれない。

投稿者 yokomiura : 22:26

2012年01月21日

海外旅日記7 Europe 2003

9月29日
旅行の準備でせいいっぱいだった私は、肝心のツァーの内容をよく把握しないまま、出発日を迎えた。前日初めて開いた各ライブハウスの様子から、かなり本格的なツァーという印象を持ち、「これは大変なことになった・・・」と焦るが、時すでに遅し。
少なくとも、去年私と一緒に演奏した彼らが組んだツァーだ。
力まず、自然体でいこう・・・
今回乗るのは、キャンペーンで格安だったパリ経由ジュネーブ行きのエールフランス航空。
パリの空港に朝4時に着いて、スイス行きの乗り継ぎ便が7時。
早朝便が初めてだった私は、真っ暗な空港の中でひとりポツンと椅子に座って夜明けを待つ自分の姿を想像し、やや不安ではあったが、なんとかなるだろうと腹をくくって飛行機に乗り込んだ。

9月30日
飛行機の中でウトウトしているうちに、パリのシャルルドゴール空港へ到着。
乗り継ぎ客のためカフェが一軒あいており、人も思ったより多かったのでホッとした。
7時、スイスに向けて、朝焼けの中を飛ぶ。
空全体が真っ赤に輝き、とても美しかった。
10時、人気のないジュネーブ駅に並んでいる列車の間を、スーツケースと切符を持ってウロウロ・・今回も、自分の乗る車両が見つからない。
駅の係員に聞くと、2等は二階で、車両番号は内部に書いてあるのだそうだ。
列車は、タラップの位置が高く、プラットホームからスーツケースを担ぎあげ、さらに2階まで持って上がるのは大変だったが、2階からの眺めは良く、湖や山を眺めながらベルンまでの2時間を満喫した。
すぐ近くを列車が通るのに、悠然と草を食む牛たち、お菓子のような可愛らしい家々。
それにしてもこの静けさ・・・時々新聞をめくる音がするくらいの中、眠くてたまらないが、寝過ごせない・・と睡魔と闘っているうち、なんとかベルンに到着した。

10月1日
今日はツァーの前、メンバー全員が集まりリハをする日だ。
チーズとパン、紅茶でブランチを済ませ、部屋で待機。
3時過ぎにPが部屋をノックし、去年演奏したコンサート会場に向かう。
4時近く、初顔合わせのH現れる。
Hは音から想像した通り、存在感のある風格を漂わせていた。
去年一緒に演奏したドラムのMもやってきて、いよいよリハーサル。
なかなかいい感じ。
ツァーはうまくいく、と予感できるものだった。(実際は、かなりハードな日々が待ち受けていたのだが、この時は知る由もない。)
メンバーもいい感触を得たようで、リビングに戻り、和やかなムードの中で、diner.
をとった。
明日は、ツァー第一日目、ここベルンのコンサートホールで演奏をする。
がんばらなくちゃ・・・!

 

投稿者 yokomiura : 01:41

2012年01月09日

海外旅日記6<Europe2003>

Europe 2003 プロローグ

前の年ふとしたきっかけで知り合ったPやMに誘われ、2003年秋、ヨーロッパツァーに行くことになったのですが、経験も語学力も乏しい上、コンピュータにも慣れていなかった私は、Pから送られてくるメールで日程を確認し、旅行全体のプランをたて、飛行機やホテルの手配、荷物の準備をするのが精一杯で、とにかく、スイスの音楽家3人と私の4人で、スイス、オーストリア、ドイツ、オランダ、イタリアをまわるらしい、ということくらいしか把握できていませんでした。
しかし出発日前日、荷造りもやっと終わり、いちおう詳細に目を通しておこうと、コンピュータで、まだ面識のない3人目の共演者.HKのHPを開け、彼の鋭い目つき、迫力ある音を聞いたとたん、「もしかしたら今度のツァー、私が想像しているより大規模なんじゃないかしら」となにやら胸騒ぎが・・・
恐る恐る演奏する予定のライブハウスのHPを覗くと、どの画面にも見慣れない言葉に混じって中央にでかでかとYOKO MIURA from Japanと書いてあるのです。「ううっ こわい・・・・!」
土壇場になってプレッシャーに押しつぶされそうになり、ほとんど一睡もできず29日出発日を迎えたのでした。


投稿者 yokomiura : 00:23