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2012年02月24日

海外旅日記12 Europe 2003<6>

10月17日
朝8時にベルンを発ち、2時過ぎ列車はパリのリヨン駅に到着。
パリは春のように暖かかった。
ホテルは最上階の可愛らしい屋根裏部屋。
窓からの眺めが素晴らしい。


10月18日
散歩の途中で見つけた教会に入る。
パリは街の中、至るところに教会があり、一歩足を踏み入れると、
まわりから隔絶された静かな空気に満たされていて、心が安らぐ。

午後からポンピドゥーセンター現代美術館にやって来た。
現代美術のオブジェのようなものの下のスペースがちょうど座り心地が
よかったので足を伸ばしそこにしばらく座っていたら、近づいて来た人が私が動いたのを見てのけぞった。オブジェの一部だと思われたらしい。


10月19日
今日は日曜日なのでパリ市内ほとんどの店は閉まっているのだが、マレ地区は例外。
ブラッと歩いていくと、道もカフェもたくさんの人で混み合っていた。
スウェーデンセンターでFaroという写真家の作品を見る。曲が浮かんできた。

ところで、ホテルはエレベーターがない。
毎日6階まで登るのはけっこう疲れるものだ・・・
それに、どうも布団にダニがいるらしい。
か、かゆい!!!


10月20日
今日は月曜日。ほとんどの美術館は休館日だ。
え~っと開いているところは・・・あっ、ルーブル美術館は火曜日休館だった!
というわけでルーブルの4つある入口の中で今まではいったことのないDenon館から中へ。
ここはモナリザ、ミロのヴィーナスがあったな・・・
人々のカメラに混じって、携帯の「ポロロ~ん」という音で写真を撮っていたら、みんな私がシャッターを押すたびに怪訝そうな不思議な顔をして、キョロキョロしていた。
(この頃、ヨーロッパではまだ携帯にカメラの機能がついているものは普及しておらず、そういえばツァーの時も、メンバーが珍しそうにしていた。ただ私の携帯も、このときはまだ海外では通話もメールもやりとりできるものではなかった。)


10月21日
今日は初めて、郊外のライブハウスにコンサートを聴きに行こうと思い立ったのだが、旅行者にはちょっと危険な場所と聞いていたので、ちょっと不安。
ホテルのフロントでタクシーを呼んでもらう。
店の中は、なかなかいい雰囲気だった。
プログラムはアフリカのグループでノリのいい音楽。
ツァーでだいぶ語学力がアップしたのか、人々とも気軽にしゃべれるようになっている。
そのうちの一人の男性は、明日ここで演奏するベーシストらしい。
大好きな国フィンランドの音楽家?!
明日も来てみようかな・・・、
帰りは隣の席に座ったFという紳士が私のホテルと同じエリアに住んでいるというので送ってもらうことになったが、話に熱が入り、ホテルの近くのJazzクラブで1時すぎまで話し込む。楽しい夜だった・・・とほろ酔い気分で楽しい余韻に浸りながらホテルのベルを鳴らす。「あれっ?」開かない。何度押してもダメ。誰も出てこない・・・
「嘘でしょう・・・・門限があるっていってなかったよね・・・」
人っ子一人いない道をメトロの駅まで歩いていき電話ボックスから電話をかけるが、30回鳴らしても誰も出ない。
「ど、どうしよう・・・・」
道路の隅で寝ているホームレスの人々と目が合った。
もう一度ホテルに戻って入れなかったら、タクシーで別のホテルに行くか、深夜営業の店に行くか・・・それも心もとない・・・
ホテルの前に来て、息を吸い、今度は拳で思い切り扉を叩いたら、やっと地下からねぼけまなこのフロントの男の子が出てきてドアを開けてくれた。
文句をいう気力もなく、そのまま階段を登り部屋に入って寝る。


10月22日
昨日は真夜中にホテルに入れず肝を冷やしたが、一晩寝たら目覚めすっきり、気分は快調。フロントに行き、夜遅くなって帰ってきた時の対応など確認した後、コインランドリーへ行き、洗濯。午後からは、ピカソ美術館へ行く。
ピカソの初期から晩年に至るまでの作品を網羅しているこの美術館、どれも見ごたえあるが、中でも、ピエロや貧しい人々など社会から疎外された人々を多く描いた初期の作品に興味を覚えた。
ホテルにいったん戻り一休みしたあと、きのうのライブハウスへ行く準備をする。
今日は地図を見ながら歩いて行ってみようと思い立ち、行き方を調べた。
地下鉄をいくつか乗り換え、駅の階段を上がると、今まで知っていたパリの風景とは違う町が目の前に広がっていた。歩いている人は、アラブ系やアフリカ系の人が大半で、道の両側の店も意味不明な文字が並んでいる。ライブハウスは道路から少し外れた路地にあったので、見つけるのに苦労したが、なんとか開演時間には間に合った。
フィンランドのグループの音楽は、自由でエレガントな感じで、好きだった。
特にきのう話をしたTのベースの音は素晴らしかった!!!
会場にもう一人、日本人の女性が入ってきて、私を見つけるやいなや、「こんにちは!日本の方ですか?」と話しかけてきた。
その物腰はとても自然でオープンなものだったので、思わず話しこむ。
私と同じ名前のYさん、今夜は彼女のボーイフレンド、フランス人のJとコンサートを聴きに来たのだそうだ。
ちなみにJもベーシストということだった。
コンサートが終わり、手短にみんなに挨拶をすませ、早々と地下鉄に乗り家路につく。
ホテルに着くと、フロントの男の子はテレビを見て起きていた。
よかった!今日は無事、扉をあけてもらう。

投稿者 yokomiura : 22:35

2012年02月18日

海外旅日記 11 Europe 2003 <5>

10月11日
今日は久しぶりゆっくり起き、昼過ぎに出発。
列車の中で バンドのメンバーの一人が私の前に座り、きのうのコンサートを録音したCDをヘッドフォンでじっと聴きながら、私にほほ笑んだ。
その時、なぜかわからないが、ふいに涙があふれ出し止まらなくなった。
それは悲しいというのではなく、むしろ心の緊張が溶けて涙になってあふれ出すようなあたたかい感覚だった。
コンサート会場のあるFaenzaという町にあるレストランに着くと、女性のオーナーがいきなり私の手を引いて奥へと連れていく。「?」と思いながらついていくと、キッチンで働くFさんという日本人シェフを紹介してくれた。
久しぶりに日本語を話し、オープンな雰囲気の中で自分の気持ちがどんどんほぐれていくのを感じる。
コンサートは大成功。
今まで抑えていたものすべて解禁したようなのびのびとした演奏ができた。
中庭まであふれた100人ほどのお客さんは大きな拍手で湧きあがり、演奏の後はたくさんの人が話しかけ握手を求めてきた。
演奏後は、メンバーと祝杯。
ミゼラブルな思いを何度か経験した後だけに、ビールの味も格別!!
朝の4時ごろまで語り明かす。


10月12日
スイスに戻るHと駅で別れ、最後のコンサート会場があるローマへ。
店は板張りでできたステージと階段状の客席がある小さいがお洒落な空間。
店の長椅子に横になり少し仮眠をとった後、みんなで散歩へ。
疲れて意識が朦朧としているのか石畳で何回も転んだが、パンナコッタのアイスを食べたら少し元気が蘇った。
今夜はこのツァーで初めてのトリオ演奏。
会場へ戻るとたくさんの聴衆が座っていて少し焦ったが、演奏はうまくいき観客の反応も良かった。
やった~!やっと終わった~!!!!!!
祝杯をあげたあと、灯りを消しベッドに横になると、喜びが静かにこみ上げてくる・・・・・


10月13日
今日は、一日ローマ市内を観光。
古い建物を眺めながら細い石畳の道を歩いていると、時間を超えてタイムスリップしたような錯覚を覚える。
夜はディナーを食べながら、メンバーや昨日のコンサートのオーガナイザーたちと談笑。といっても、彼らは、イタリア語、ドイツ語、英語、スイスジャーマン(スイス特有のドイツ語)フランス語など、話題に応じて、スポーツのように言語をスイッチしていくので、私はもっぱら聞き役だ。ここ2週間ずっとそういう環境に身を置いていたせいか、話の内容はほとんど理解できるようになっていたが、自分ももっとしゃべることができたら・・・と切に思った。

このツァー、決して楽なものではなかったが収穫は計り知れない。
本当に自由になりたかったら、まず自分の輪郭(限界)を知ることだ、と以前音楽の先生から言われたことがあるが、今回の体験は、否が応でも私の輪郭を浮き彫りにするものだった。力が足りない部分を思い知らされた反面、今まで知らなかった自分の力に気づくこともあった。
ヨーロッパの人々(メンバー,聴衆とも)の反応の仕方は、かなり率直でシビア、しかしヒューマンだ。不本意な演奏をしたときは情け容赦ないが、いい演奏をすると、同一人物かと思うほど肩を抱き祝福してくれる。
鏡のように実像を映し出してくれるこの環境は、自分の音を鍛え上げ育てていく上で、必要不可欠なものに思えた。


10月14日
なんと私の目覚まし時計、ツァーの間中ずっとイギリス時間にセットされていたようだ!(ヨーロッパ大陸の国々より時差で一時間遅れ)
ベルンに戻り荷物を整理していて気がついた。
どおりで毎日叩き起されたわけだ。(今更気がついても遅いんだけど・・・)
ともかくツァーは乗り切ったし、ギャラももらえた。明日からパリでバカンスだ!!

投稿者 yokomiura : 22:57

2012年02月10日

海外旅日記10 Europe2003 <4>

10月9日
わ~寝過ごした!!
Pがドアをノックし、あと15分で出発だよという。あれ?目ざまし時計、セットしたはずだけどな・・・
大急ぎで着替えをすませ、スーツケースに荷物を入れ、食堂に降りていき、とにかく目に入るものを次々口に入れる。道中長いのだ、しっかり食べなくちゃ・・・
タクシーに乗り、7時過ぎ列車に乗り込み、スイスへ向かう。
ツァーも折り返し地点を過ぎ、今夜のスイスコンサートの後は、イタリアで3つ。
今までの感触で行くと、このまま無事ゴールまでいけるかと思ったのだが、甘かった。
伏兵は、私自身の中にあった。
私はここまで、どうやってこのバンドのコンセプトにかなう演奏ができるかに心を砕き、コンサートの度に、バンドでの響き方を確かめながら音を作り上げてきたのだが、ここにきて、メンバーひとりひとりの音楽観の違い、それによる私の演奏へ対する感じ方に差があることに、徐々に気がつき始めたのだ。どんな演奏をすれば、全員が納得してくれるの?
言葉がもっと自由にしゃべれたら、会話の中で、解決法を見つけられたのかもしれないが、当時の私はただひとりで気を使い、神経をすり減らし、少しずつ心が消耗していくのを感じた。
とりあえず列車は夕方4時すぎ、今日のコンサートをやる町、スイスのBienneに到着。
この町はドイツ語、フランス語のバイリンガルの町。確かにベルンとはまた一味違う雰囲気だ。言葉がその土地に与える影響を考えると興味深い。
会場は とてもお洒落で素敵なレストランの2階だった。
1階にあるピアノをみんなで2階に運び入れたりして、大変そうだったが・・・
ここもふだんはピアノを使ってないらしく、ピアノのための椅子はない。
レストランの椅子は高さが低いので、今までよくやったように厚い本を座布団代わりに椅子にのせ、その上に腰かけて弾こうと思ったのだが、見栄えが良くないと思ったのか、店のオーナーは、たたんだテーブルの上に椅子をのせ、ピアノの前にセットしたらどうかと提案してくれた。やってみたら、高さもちょうどよく、このやりかたでいくことにする。
(これが間違いだったのだが・・・)
今日は私のソロから入って、と言われたが、もう大丈夫、ウィーン(10月4日)のときの轍はふまない。
入りはうまくいき、演奏の内容もなかなか良かった、最後のクライマックスまでは・・・
演奏が佳境に入り、さあ、これからフィニッシュ、というところで、思い切り鍵盤をかき鳴らそうとした瞬間、一瞬何が起こったかわからなかったが、気がつくと鍵盤の上にのせた両手が頭の上にある。えっ?と下をみると床。
私、尻もちをついたの?!
恐る恐る周りを見回すと、ステージの真ん中に椅子が横倒しになっている。
演奏はまだ続いていたので、なんとか起き上がり、中腰で最後の部分にかろうじて参加するが、そのあいだ、観客はみんな何事もなかったようにシーンとしている。
「うぁ~かっこ悪い!!!!!」
こういうときは、むしろ「あはは・・・」と笑われたほうがダメージが大きくないのだが、終わった後も誰も近寄らず、声もかけてくれない。きっと気を使って、こちらがアクションを起こすまで放っておいてくれたのだろうが、なぜか急に孤独に襲われた。
30分ほどひとりでステージの横にじっと座っていたが、意を決して顔をあげ、人々のほうへ歩いていく。
「てへへ・・びっくりしちゃった。今度来るときはピアノの椅子用意しててね。」
と言ってみると、ようやく周りの人が「おしり、痛くなかった?」などと話しかけてきた。
何事も自分から意思表示をしなければ始まらないのがここヨーロッパなんだな。
タフでなければやっていけない・・・


10月10日
Pにまたしても起こされる。目ざまし時計、また鳴らなかった・・・
急いで支度をし、7時に駅集合。今日からイタリアだ。
天気は今までと打って変わって快晴。車窓から見えるアルプスがとても美しい。
しかし同じヨーロッパでも国によってこうも気候が違うのかと、今さらながら驚かされる。
おとといのオランダは冬、昨日のスイスは春、そしてイタリアは夏真っ盛りという感じ。
(温度差は20度以上だと聞いた。)
メンバーはみんなサングラスをかけ、夏モードだ。
駅に迎えに来てくれたオーガナイザーの車に乗って2時間余り、広々とした丘をいくつも越え,ようやくワイン産地でも有名だという村、モンテプルチアーノに着いた。
今日はここにあるスタジオで演奏、エンジニアが録音もしてくれるらしい。

しかし、まわりの華やいだムードとは対照的に、私は自分の疲労が臨界点を超えているのを感じていた。どういうわけか深い孤独感にとらわれ、油断すると涙が出てきそうになる。
コンサートは、2度目のミゼラブル・・・最悪だった。
たくさんの聴衆が入り、他のメンバーがいつものように演奏している中で、私はほとんど音を出すことができなかったのだ。その上、アンコールでは、今までこのバンドでは弾かないように戒めていたメロディーがいつの間にか自分の鍵盤からこぼれ始め、気がつくと他のメンバーは演奏を止め、客と一緒にシーンとして見ている。自分で始末をつけろということらしい。私は焦りながらも、氷のような沈黙の中でメロディーが行きつくところまで、10分くらい一人で弾き続けた。
コンサートが終わり、メンバーが人々と談笑している間、私は、自分の居場所が見つからず、スタジオから少し離れた丘に一人座り、空を眺めていた。「コンセプトから外れた演奏をしたんだもん、ああいう反応は仕方ない、甘んじて受けよう・・・しかしどうしてあんな風にメロディを弾きたくなっちゃったんだろう・・・」などと考えていると、人々の輪から外れて、メンバーのひとりがこちらに向かって歩いてくる。
私の単語力がないのを知っていた彼は、「陽子、辞書持ってこい」といい、スペルをひとつずつ言った。「H,E,S,I,T,A,T,E,」・・・hesitate=ためらう??
彼は私の目を見据えて「Don’t hesitate」そう言い残して、スタジオのほうへ戻って行った。

「ためらうな・・・」
そうか、私はいつの間にか他の人に気を使うあまり、自分を抑えてしまい、100パーセント表現することをためらっていたのかもしれない。
明日はカルテットでの演奏は最終日だ。
心置きなく自分の演奏をしよう。

投稿者 yokomiura : 22:15

2012年02月04日

海外旅日記 9 Europe 2003 <3>

10月5日 (続き)
とりあえず気分は立て直したが、きのうの演奏が良くなかったことは確かだ。
今夜もあんな演奏をしたら、完全にアウト。立ち直れなくなる・・・
私は、列車の中で、ベルン、ウィーンの演奏をもういちど最初からじっくり聴きなおし、このバンドのコンセプトを自分なりに解釈し、演奏法を考えた。
それにしてもこのツァー、かなりハード。
今日も朝6時にホテルを出て、7時すぎ列車に乗り、4回乗り継いで(一度など、走り始めた列車に荷物を放り込んで、飛び乗った。)時計を見ると、もうすぐ7時。12時間乗ってもまだ着かない・・・
ようやく目的地ドイツのMunsterにある会場に着いたときは、7:50。
隣のファーストフードの店で、フォラフェルと紅茶でとりあえず空腹を満たした後すぐに、演奏を始めた。

コンサートはうまくいった。
肩の力が抜け、自分のできることをすればいい、と心が定まった結果だろうか。
演奏していて、バンドのメンバー、観客たちと響き合っているのを感じた。
コンサートのあとは、みんなでトルコ料理店に行き、打ち上げ。
とてもくつろいだ雰囲気で、3日目にしてやっと、このバンドのメンバーになれた実感が持てた。
明日はいよいよベルリン。楽しみだ!




10月6日
ここの会場のピアノは、なんでも100年ほど前のものということで、調律は狂っているし出ない音が10以上ある。普段はもう使ってないらしく、ロビーで埃をかぶっていた。
エレピならいい状態のものがあるいうことだったが、私はこの古い骨董品のようなピアノでやってみたいと思った。
「陽子、君はどうしてフルートを演奏しないの?」冗談まじりながら、ため息をつき、会場の責任者は重いピアノを4人がかりでふうふう言いながら、ホールまで運んだ。
それにしても、このピアノでは、細かいニュアンスはとてもじゃないけど出せないし・・・(どの音が鳴るかわからないほどの状態だ。)
どうしよう・・・
結局、メンバーが貸してくれたクリップや電動ブラシのようなものを使って、いつもとはまったく違うアプローチで演奏してみることにする。

1階に会場があるこのビルは、2階が企画室とキッチン、3階から上はアパートになっていて、世界中からやってきたアーティストたちが住んでいるということだ。
サウンドチェックをすませた私たちは、それぞれ、今夜寝る部屋へ案内された。私が今夜寝るのは、最上階の洗濯物がほしてある屋根裏部屋。Lの字になったそのスペースはかなり広いが、ひとりで使っていいということ。私は、洗濯ものをかきわけながら、天窓がある部屋の端っこに寝具をセットし荷物を置いた後、キッチンへ降りていき、みんなと食事をした。
それにしても、ここはすべてのつくりが大きい。流しなど、ちょっとしたバスタブくらいの大きさで、背の小さい私は、蛇口をひねるのに、精一杯つま先だって、腕を思い切り伸ばさないと届かないのだ。言葉はドイツ語、英語、フランス語その他私の知らない言葉が、頭の上を行き交っている。

いよいよ本番。
会場にはたくさんの聴衆が入り、熱気に包まれている。
なんかみんな迫力あるな~体も大きいし・・・
圧倒されそうな思いではあったが、バンドのサウンドがつかめてきた私は、むしろリラックスして演奏できた。
コンサートは大成功。
大きな拍手をもらい、アンコールにもこたえた。
先ほどフルートにしたら?と言った会場の責任者も、満面の笑みで両手を広げ祝福してくれた。
ロビーで祝杯をあげ、充実感と安堵感に包まれながら暗闇の中を手探りで階段を上り、最上階、私の部屋にたどり着く。
ところがドアを開けると、暗闇の中から、「Who are you?」という男性の声。
「I,Iam a pianist…!」「...」
反射的に答えたが、「えっ?この部屋、私だけじゃなかったの?!あなたこそ誰よ・・・」
と思ったが、ここはビル全体、合宿のような雰囲気だし、声の方向からして部屋の反対側にいるようだし、それよりもう一刻も目が開けていられないほど疲れていたので、暗闇の中手探りでベッドの方向に行き、とにかく眠ることにする。
朝になり、ドアのほうに歩いて行くと、部屋の反対側の隅からリュックを背負った男の人が出てきたので「おはよう!」と挨拶し、握手。キッチンに下りていき朝食をとる。
アパートの住人の人たちに話すと、彼は定住するところがなくて、時々、屋根裏部屋へ来て泊まっていくのだそうだ。
「ふ~ん・・・それってホームレスってこと?!」




10月8日
前の日は、一日オフ。
私は、Pと彼の友達の家に遊びに行ったが、疲れていたのか、食事の後,目が開けていられないほど眠くなり、寝室で昼寝をさせてもらう。
今日はオランダ。ここのところワインを飲みすぎたせいか、体調が今ひとつ。
気分は上々なんだけど、ちょっと疲れ気味だ。
夕方6:00すぎ、オランダのTiburgに到着。
土砂降りの中、トランクを引きずりながら石畳を歩く。
店はグランドピアノのある広々とした素敵な空間だった。
演奏前は、肩がパンパンに張っていて、ちょっと不安だったが、本番は集中して演奏でき、メンバーも絶賛。CDも売れた。
ただ、疲れがピークに来ている。
ホテルのバスタブの湯にラヴェンダーを落とし、湯船につかっていたら、そのまま眠りこみ、気がつくと朝の3時。
明日は5時起きだ・・・

投稿者 yokomiura : 00:32