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2012年03月09日

マリオネット

旅日記はまだこれからも続きますが、今回は、私のオリジナル曲のひとつ、マリオネットができた背景を紹介しようと思います。これは、2004年再び訪れたNYで、2回目のレコーディングのときにも弾いた曲で、アルバム"Cielo"に入っています。


私が2才半から一年半ほど住んでいたのは、東京都北区滝乃川の小さな商店街の中にある薬屋さんの2階のアパートだった。
3才になって間もなく、私は結核菌に感染しておこるという肺門リンパ腺炎という病気にかかった。
毎日薬を飲み、病院で週にいちど検査を受け、完治するまで体を消耗させないようにとの医師のアドバイスで、一年間外に出られず自宅療養をすることになる。
そのころの記憶というと、薄暗い部屋の中。窓をあけるとすぐ下に見える薬屋さんのビニール製のシェード。洋服ダンス。薬の入った食器棚。その上のラジオ。
ラジオからは一日中、いろいろな音楽や人の話し声が次々と聞こえてきた。
そんなある日、ラジオから流れてきた物悲しいうたの調べは、子供心に何か動かされるものがあり、以来その音楽が聞こえるとわけもなく悲しくなった。母に聞いてみると、それはフランスの歌手が歌うシャンソンだった。
部屋の右隣に住んでいたのは、モデル兼女優をしていたKさんとそのご主人。部屋の中には足ふみオルガンがあり、私は時々遊びに行って、おじさんの膝の上でペダルを踏んでもらいながら、聞き覚えのメロディーを探り弾きした。
母は毎日 パスと言う粉薬をオブラートに包んでいくつかの包みに分けて私に飲ませ、耳の後ろのリンパ腺の腫れ具合をチェック。お風呂屋さんに行けない私のために毎晩、部屋の中を暖め、お湯を沸かし体を拭いてくれた。
私は、母がうたってくれる“ゆりかごのうた”が大好きだった。
そんな生活の中で、私にとって大きなイベントがあった。
それは、月に何度か商店街にやってくるちんどん屋さんだ。
遠くから鐘や太鼓の音が聞こえてくると、私は窓に駆け寄り、近づいてくる音に耳をそばだてた。
風のまにまに微かに聞こえていた響きは、カラフルな衣装と鳴りものを持った一団が通りの角から姿を現すと突然、はっきりとした輪郭を持ってズーンとしたビートをたたき出した。明るい音色、楽しそうに踊る人々の姿は、ふだんの静かな生活の時間をざわめかせる、エネルギーに満ちたものだった。
「大きくなったらチンドン屋さんになる!」まわりの人によくそう話していたそうだ。

26才のとき、闘病生活で、Jazzを聴きながら自宅の北向きの部屋から明るい外の景色をながめていたとき、ふとヨーロッパの情景に、自分の小さいときの記憶がオーバーラップし、私の最初のオリジナル、“マリオネット”が生まれた。

投稿者 yokomiura : 2012年03月09日 22:57