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2013年04月30日

ライブキッチン 2013年5月

5月9日はフランスからベーシストのJean Borde、黒田オサムさんとのトリオです。
Jeanとはパリ、東京で今まで数回共演をしていますが、柔らかく繊細な世界を表現するベーシスト。
パリの日本大使館でパフォーマンスを行なった際、大きな反響のあった黒田オサムさんとのセッションは
今から楽しみです。

また5月17日は ”カナリヤ”のメンバー、吉田悠樹さんとのデュオ。
胡弓、コントラバス、ピアノの組み合わせが興味深いと思い、始めた”カナリヤ”ですが、先月吉田さんと
七針で共演をした際、新しい響きが聞こえ、とても新鮮でした。
いろいろな可能性を探りつつ、新しい世界を切り開いていこうと思っています。

投稿者 yokomiura : 23:08

2013年04月01日

ライブキッチン 2013年4月

友遠方より来る・・・!


私が10年前に知り合い、一緒にヨーロッパツァーをしたスイス人音楽家たちが、去年(2012年)から今年にかけ、次々と日本にやってきています。
Paed Concaは 去年の秋”Praed”で、Margriは単身、和太鼓を勉強しに、そして、4月には3人目の音楽家Hans Kochが来日し、ツァーの初日24日にペンギンハウスで共演するのですが、2003年彼らと行なったツァーが私の海外演奏の起点になったことを思うと、感慨深いものがあります。
当時つけていた日記を元に、旅日記(2003年)をご紹介しようと思います。

また阿佐ヶ谷ヴィオロンでは、最近自分なりにつかめてきた曲の捉え方、表現の仕方を、
11日は 吉久昌樹さんのギターにゲストで、19日はピアノソロで演奏したいと思います。
時間など詳細はLive Informationをご覧ください。




旅日記
>前の年ふとしたきっかけで知り合ったPaedやMargritに誘われ、2003年秋、ヨーロッパツァーに行くことになったのですが、経験も語学力も乏しい上、コンピュータにも慣れていなかった私は、Paedから送られてくるメールで日程を確認し、旅行全体のプランをたて、飛行機やホテルの手配、荷物の準備をするのが精一杯で、とにかく、スイスの音楽家3人と私の4人で、スイス、オーストリア、ドイツ、オランダ、イタリアをまわるらしい、ということくらいしか把握できていませんでした。
しかし出発日前日、荷造りもやっと終わり、いちおう詳細に目を通しておこうと、コンピュータで、まだ面識のない3人目の共演者.HansのHPを開け、彼の鋭い目つき、迫力ある音を聞いたとたん、「もしかしたら今度のツァー、私が想像しているより大規模なんじゃないかしら」となにやら胸騒ぎが・・・
恐る恐る演奏する予定のライブハウスのHPを覗くと、どの画面にも見慣れない言葉に混じって中央にでかでかとYOKO MIURA from Japanと書いてあるのです。「ううっ こわい・・・・!」
土壇場になってプレッシャーに押しつぶされそうになり、ほとんど一睡もできず29日出発日を迎えたのでした。


9月29日
旅行の準備でせいいっぱいだった私は、肝心のツァーの内容をよく把握しないまま、出発日を迎えた。前日初めて開いた各ライブハウスの様子から、かなり本格的なツァーという印象を持ち、「これは大変なことになった・・・」と焦るが、時すでに遅し。
少なくとも、去年私と一緒に演奏した彼らが組んだツァーだ。
力まず、自然体でいこう・・・
今回乗るのは、キャンペーンで格安だったパリ経由ジュネーブ行きのエールフランス航空。
パリの空港に朝4時に着いて、スイス行きの乗り継ぎ便が7時。
早朝便が初めてだった私は、真っ暗な空港の中でひとりポツンと椅子に座って夜明けを待つ自分の姿を想像し、やや不安ではあったが、なんとかなるだろうと腹をくくって飛行機に乗り込んだ。

9月30日
飛行機の中でウトウトしているうちに、パリのシャルルドゴール空港へ到着。
乗り継ぎ客のためカフェが一軒あいており、人も思ったより多かったのでホッとした。
7時、スイスに向けて、朝焼けの中を飛ぶ。
空全体が真っ赤に輝き、とても美しかった。
10時、人気のないジュネーブ駅に並んでいる列車の間を、スーツケースと切符を持ってウロウロ・・今回も、自分の乗る車両が見つからない。
駅の係員に聞くと、2等は二階で、車両番号は内部に書いてあるのだそうだ。
列車は、タラップの位置が高く、プラットホームからスーツケースを担ぎあげ、さらに2階まで持って上がるのは大変だったが、2階からの眺めは良く、湖や山を眺めながらベルンまでの2時間を満喫した。
すぐ近くを列車が通るのに、悠然と草を食む牛たち、お菓子のような可愛らしい家々。
それにしてもこの静けさ・・・時々新聞をめくる音がするくらいの中、眠くてたまらないが、寝過ごせない・・と睡魔と闘っているうち、なんとかベルンに到着した。

10月1日
今日はツァーの前、メンバー全員が集まりリハをする日だ。
チーズとパン、紅茶でブランチを済ませ、部屋で待機。
3時過ぎにPaedが部屋をノックし、去年演奏したコンサート会場に向かう。
4時近く、初顔合わせのH現れる。
Hansは音から想像した通り、存在感のある風格を漂わせていた。
去年一緒に演奏したドラムのMargritもやってきて、いよいよリハーサル。
なかなかいい感じ。
ツァーはうまくいく、と予感できるものだった。(実際は、かなりハードな日々が待ち受けていたのだが、この時は知る由もない。)
メンバーもいい感触を得たようで、リビングに戻り、和やかなムードの中で、diner.
をとった。
明日は、ツァー第一日目、ここベルンのコンサートホールで演奏をする。
がんばらなくちゃ・・・!

 
10月2日
やばい!始まる前になって、強烈な頭痛。
ふだんほとんど頭痛とは縁がないのだが、やはり緊張しているんだろうな。
コンサートでは案の定、少し固くなっていて、やや消極的な演奏になってしまった。
ただ、観客の反応は良く、映像が浮かんでくるような演奏だといわれた。
このカルテットは、私以外のメンバーは、それぞれ各自の楽器に加えて、エレクトロを使う。ピアノだけの私は、この編成の中でどういう演奏をすればいいのか・・・
今まで日本では、作曲したメロディーを基に即興演奏することが多かったが、メロディーは弾かないでとリハで言われたし・・・どういうコンセプトで、どういう演奏を期待されているのか、いまひとつわからない・
問題は言葉。日常会話をどうにか話せる程度の私の語学力で、演奏上の突っ込んだ話は、とてもできる段階ではないのがやや不安材料ではあるが、まあ、これから約2週間のツァーの中で演奏しているうちにつかめてくるだろう。(と願いたい・・・)

次の日はオフ。
朝起きて、キッチンに下りていくと、ここの住人のひとり、レストランで働くコックのMiss..
Aが 口笛を吹きながら料理をしていた。彼女は私に、チーズとポテトでつくるスイスの料理、ロシュティーをごちそうしてくれた。
昼は、メンバーのひとり、Mが自宅で一緒にランチを食べようと招待してくれた。
市電に乗ること15分くらいで、彼女のアパートへ到着。
アパートは、4世帯でシェアする庭付きの大きな一軒家。広い庭は 住民が共同で手入れし、使うのだそうで、外のテーブルで食事したりすることもあるらしい。
Mの部屋には、日本のものがいっぱい飾られていた。
ランチは、ラックレット。ステーキのようなチーズのかたまりをあたためて食べるスイス料理だ。
アパートへ戻ると、住人たちがみんなで夕食をこしらえ待ってくれていた。
料理は、チーズフォンデュ・・・!
え~っ!?またチーズ・・・!!
そう、みんなそれぞれスイスならではの料理を準備してくれたのね・・・
チーズ三昧の一日!!
あとでメンバーに話したら、スイス人でもそんなに一度にチーズは食べないよと笑われた。


10月4日
そのころ私にとって即興とは、自分の既成概念を壊すひとつの手段だった。
和楽器や他の分野の表現、絵とのコラボレーションなど、ある意味ミスマッチな組み合わせで、いままで自分の中に蓄積してきた知識では対応できない状況を作り出し、そこに身を置くことで、新たな表現が生まれるのをながめるのがなによりも楽しかった。
そこで大切なのは、その時その場にある材料で、如何に最高の瞬間を作り上げるかということで、即興演奏家として自分を表現する方法は、まだ十分確立していなかった。

今日はいよいよ出発ということで興奮したのか、朝早く目が覚めた。
6:00ごろ起き、荷造りをし、キッチンに行くと、Pがサンドイッチをつくっていた。
黒パンにバターとレバーペーストを塗り、ニンジンをはさんだ質実剛健なものだ。
眺めていると、”It’s your’s”といって大きなかたまりを2ピース渡してくれた。
8時すぎ、Bernからチューリヒへ行く列車に乗り込む。自由席なので、それぞれバラバラに空席を見つけ座る。ホームには、別の列車から降りてきた若い兵士たちの一団が見えた。まだ少年のあどけなさが残る。
列車の中で驚いたのは、子供のために小さな滑り台やスペースが設けられていたことだ。
お父さんが 子供を遊ばせているのを横目に見ながら、Pお手製のサンドイッチを食べる。ニンジンを食べる音が、静かな車内に響く。
チューリヒでオーストリア行きの列車に乗り換え。
窓の向こうに美しい湖が見えてきた。
興奮した私が「わ~!あれな~に?!」とPに聞くと、「Lake」という答え。
「そう、珍しくないのね~ 彼らにとっては・・・」
オーストリアの国境を越えると、オーストリア人の団体が乗り込んできた。
ヨーロッパの人たちは、言葉の種類、アクセントでどこの国の人か、簡単に見分けることができるようだ。とにかく彼らが乗り込んできて、今まで静かだった車内は一変。
急にお祭りのように賑やかになった。片時もしゃべりやまない。
う~ん、国民性でこうもちがうとは・・・同じスイスでも、フランス語圏とドイツ語圏ではだいぶ雰囲気が違うということだった。

夕方になり、ようやくウィーンに到着。
アウトバーンを車で1時間ほど走り、今夜の演奏会場に到着に着く頃にはあたりはもう真っ暗になっていた。
この夜、私は、生涯忘れることのない苦い経験をすることになる。

食事を終え、いよいよ本番かというとき、「今日はピアノソロから入ろう」といわれた瞬間あがってしまって頭の中が真っ白になり、不本意な演奏になってしまったのだ。
ミゼラブル・・・・
演奏後は、しばらくの間誰も私に近寄ろうとも話しかけようともしなかった。
ようやくPがやってきて、「まだ2日目じゃないか、チャンスはあるよ。」と声をかけてくれるが、ますます悲しくなる。まだ、2日目・・・・・
2セット目はまあまあの出来だったが、今更ながら、今の自分の実力を思い知らされる。
とにかく、できることとできないことをはっきりと認識すべきだと心に刻みつけ、明日からの対策をたてる。
あまりのみじめさに、眠くなってきた。


10月5日
朝6:30に起き、なんとなくみんな無口で車に乗り込む。
7時過ぎ列車に乗り、それぞれバラバラの席へ。
昨日の列車の中の雰囲気とは大違い。
私は、被告のような気分でしばらくしょんぼりしていたが、そのうち、なんだか可笑しくなってきた。惨めさも極限に来ると笑えて来る。
仕方ないじゃない。こうしかできないんだもーん!と思ったら、開き直れた。
「よし、毒食わば皿までだ」スーツケースを開けて、昨日の演奏を聴いてみる。
あれっ?意外といいじゃん。観客のリアクションはともかく、音は悪くなかった。
相手の望む音を出そうと気を使いすぎた嫌いはある。
Hたちが座っている席に行き、「意外と良かったよ!きのうの録音聞いたら。」と言うと、雰囲気が和らいだ。
確かに演奏しているときは五里夢中。ちょっとした動揺、リアクションでヨレヨレになってしまうけど、結局大切なのは、Confidence.
それは、良くも悪くも、自分のすべてを受け入れることから始まるのではないかと思った。

とりあえず気分は立て直したが、きのうの演奏が良くなかったことは確かだ。
今夜もあんな演奏をしたら、完全にアウト。立ち直れなくなる・・・
私は、列車の中で、ベルン、ウィーンの演奏をもういちど最初からじっくり聴きなおし、このバンドのコンセプトを自分なりに解釈し、演奏法を考えた。
それにしてもこのツァー、かなりハード。
今日も朝6時にホテルを出て、7時すぎ列車に乗り、4回乗り継いで(一度など、走り始めた列車に荷物を放り込んで、飛び乗った。)時計を見ると、もうすぐ7時。12時間乗ってもまだ着かない・・・
ようやく目的地ドイツのMunsterにある会場に着いたときは、7:50。
隣のファーストフードの店で、フォラフェルと紅茶でとりあえず空腹を満たした後すぐに、演奏を始めた。

コンサートはうまくいった。
肩の力が抜け、自分のできることをすればいい、と心が定まった結果だろうか。
演奏していて、バンドのメンバー、観客たちと響き合っているのを感じた。
コンサートのあとは、みんなでトルコ料理店に行き、打ち上げ。
とてもくつろいだ雰囲気で、3日目にしてやっと、このバンドのメンバーになれた実感が持てた。
明日はいよいよベルリン。楽しみだ!


6月10日
ここの会場のピアノは、なんでも100年ほど前のものということで、調律は狂っているし出ない音が10以上ある。普段はもう使ってないらしく、ロビーで埃をかぶっていた。
エレピならいい状態のものがあるいうことだったが、私はこの古い骨董品のようなピアノでやってみたいと思った。
「陽子、君はどうしてフルートを演奏しないの?」冗談まじりながら、ため息をつき、会場の責任者は重いピアノを4人がかりでふうふう言いながら、ホールまで運んだ。
それにしても、このピアノでは、細かいニュアンスはとてもじゃないけど出せないし・・・(どの音が鳴るかわからないほどの状態だ。)
どうしよう・・・
結局、メンバーが貸してくれたクリップや電動ブラシのようなものを使って、いつもとはまったく違うアプローチで演奏してみることにする。

1階に会場があるこのビルは、2階が企画室とキッチン、3階から上はアパートになっていて、世界中からやってきたアーティストたちが住んでいるということだ。
サウンドチェックをすませた私たちは、それぞれ、今夜寝る部屋へ案内された。私が今夜寝るのは、最上階の洗濯物がほしてある屋根裏部屋。Lの字になったそのスペースはかなり広いが、ひとりで使っていいということ。私は、洗濯ものをかきわけながら、天窓がある部屋の端っこに寝具をセットし荷物を置いた後、キッチンへ降りていき、みんなと食事をした。
それにしても、ここはすべてのつくりが大きい。流しなど、ちょっとしたバスタブくらいの大きさで、背の小さい私は、蛇口をひねるのに、精一杯つま先だって、腕を思い切り伸ばさないと届かないのだ。言葉はドイツ語、英語、フランス語その他私の知らない言葉が、頭の上を行き交っている。

いよいよ本番。
会場にはたくさんの聴衆が入り、熱気に包まれている。
なんかみんな迫力あるな~体も大きいし・・・
圧倒されそうな思いではあったが、バンドのサウンドがつかめてきた私は、むしろリラックスして演奏できた。
コンサートは大成功。
大きな拍手をもらい、アンコールにもこたえた。
先ほどフルートにしたら?と言った会場の責任者も、満面の笑みで両手を広げ祝福してくれた。
ロビーで祝杯をあげ、充実感と安堵感に包まれながら暗闇の中を手探りで階段を上り、最上階、私の部屋にたどり着く。
ところがドアを開けると、暗闇の中から、「Who are you?」という男性の声。
「I,Iam a pianist…!」「...」
反射的に答えたが、「えっ?この部屋、私だけじゃなかったの?!あなたこそ誰よ・・・」
と思ったが、ここはビル全体、合宿のような雰囲気だし、声の方向からして部屋の反対側にいるようだし、それよりもう一刻も目が開けていられないほど疲れていたので、暗闇の中手探りでベッドの方向に行き、とにかく眠ることにする。
朝になり、ドアのほうに歩いて行くと、部屋の反対側の隅からリュックを背負った男の人が出てきたので「おはよう!」と挨拶し、握手。キッチンに下りていき朝食をとる。
アパートの住人の人たちに話すと、彼は定住するところがなくて、時々、屋根裏部屋へ来て泊まっていくのだそうだ。
「ふ~ん・・・それってホームレスってこと?」


10月8日
前の日は、一日オフ。
私は、Pと彼の友達の家に遊びに行ったが、疲れていたのか、食事の後、目が開けていられないほど眠くなり、寝室で昼寝をさせてもらう。
今日はオランダ。ここのところワインを飲みすぎたせいか、体調が今ひとつ。
気分は上々なんだけど、ちょっと疲れ気味だ。
夕方6:00すぎ、オランダのTiburgに到着。
土砂降りの中、トランクを引きずりながら石畳を歩く。
店はグランドピアノのある広々とした素敵な空間だった。
演奏前は、肩がパンパンに張っていて、ちょっと不安だったが、本番は集中して演奏でき、メンバーも絶賛。CDも売れた。
ただ、疲れがピークに来ている。
ホテルのバスタブの湯にラヴェンダーを落とし、湯船につかっていたら、そのまま眠りこみ、気がつくと朝の3時。
明日は5時起きだ・・・


10月9日
わ~寝過ごした!!
Pがドアをノックし、あと15分で出発だよという。あれ?目ざまし時計、セットしたはずだけどな・・・
大急ぎで着替えをすませ、スーツケースに荷物を入れ、食堂に降りていき、とにかく目に入るものを次々口に入れる。道中長いのだ、しっかり食べなくちゃ・・・
タクシーに乗り、7時過ぎ列車に乗り込み、スイスへ向かう。
ツァーも折り返し地点を過ぎ、今夜のスイスコンサートの後は、イタリアで3つ。
今までの感触で行くと、このまま無事ゴールまでいけるかと思ったのだが、甘かった。
伏兵は、私自身の中にあった。
私はここまで、どうやってこのバンドのコンセプトにかなう演奏ができるかに心を砕き、コンサートの度に、バンドでの響き方を確かめながら音を作り上げてきたのだが、ここにきて、メンバーひとりひとりの音楽観の違い、それによる私の演奏へ対する感じ方に差があることに、徐々に気がつき始めたのだ。どんな演奏をすれば、全員が納得してくれるの?
言葉がもっと自由にしゃべれたら、会話の中で、解決法を見つけられたのかもしれないが、当時の私はただひとりで気を使い、神経をすり減らし、少しずつ心が消耗していくのを感じた。
とりあえず列車は夕方4時すぎ、今日のコンサートをやる町、スイスのBienneに到着。
この町はドイツ語、フランス語のバイリンガルの町。確かにベルンとはまた一味違う雰囲気だ。言葉がその土地に与える影響を考えると興味深い。
会場は とてもお洒落で素敵なレストランの2階だった。
1階にあるピアノをみんなで2階に運び入れたりして、大変そうだったが・・・
ここもふだんはピアノを使ってないらしく、ピアノのための椅子はない。
レストランの椅子は高さが低いので、今までよくやったように厚い本を座布団代わりに椅子にのせ、その上に腰かけて弾こうと思ったのだが、見栄えが良くないと思ったのか、店のオーナーは、たたんだテーブルの上に椅子をのせ、ピアノの前にセットしたらどうかと提案してくれた。やってみたら、高さもちょうどよく、このやりかたでいくことにする。
(これが間違いだったのだが・・・)
今日は私のソロから入って、と言われたが、もう大丈夫、ウィーン(10月4日)のときの轍はふまない。
入りはうまくいき、演奏の内容もなかなか良かった、最後のクライマックスまでは・・・
演奏が佳境に入り、さあ、これからフィニッシュ、というところで、思い切り鍵盤をかき鳴らそうとした瞬間、一瞬何が起こったかわからなかったが、気がつくと鍵盤の上にのせた両手が頭の上にある。えっ?と下をみると床。
私、尻もちをついたの?!
恐る恐る周りを見回すと、ステージの真ん中に椅子が横倒しになっている。
演奏はまだ続いていたので、なんとか起き上がり、中腰で最後の部分にかろうじて参加するが、そのあいだ、観客はみんな何事もなかったようにシーンとしている。
「うぁ~かっこ悪い!!!!!」
こういうときは、むしろ「あはは・・・」と笑われたほうがダメージが大きくないのだが、終わった後も誰も近寄らず、声もかけてくれない。きっと気を使って、こちらがアクションを起こすまで放っておいてくれたのだろうが、なぜか急に孤独に襲われた。
30分ほどひとりでステージの横にじっと座っていたが、意を決して顔をあげ、人々のほうへ歩いていく。
「てへへ・・びっくりしちゃった。今度来るときはピアノの椅子用意しててね。」
と言ってみると、ようやく周りの人が「おしり、痛くなかった?」などと話しかけてきた。
何事も自分から意思表示をしなければ始まらないのがここヨーロッパなんだな。
タフでなければやっていけない・・・


10月10日
Pにまたしても起こされる。目ざまし時計、また鳴らなかった・・・
急いで支度をし、7時に駅集合。今日からイタリアだ。
天気は今までと打って変わって快晴。車窓から見えるアルプスがとても美しい。
しかし同じヨーロッパでも国によってこうも気候が違うのかと、今さらながら驚かされる。
おとといのオランダは冬、昨日のスイスは春、そしてイタリアは夏真っ盛りという感じ。
(温度差は20度以上だと聞いた。)
メンバーはみんなサングラスをかけ、夏モードだ。
駅に迎えに来てくれたオーガナイザーの車に乗って2時間余り、広々とした丘をいくつも越え,ようやくワイン産地でも有名だという村、モンテプルチアーノに着いた。
今日はここにあるスタジオで演奏、エンジニアが録音もしてくれるらしい。

しかし、まわりの華やいだムードとは対照的に、私は自分の疲労が臨界点を超えているのを感じていた。どういうわけか深い孤独感にとらわれ、油断すると涙が出てきそうになる。
コンサートは、2度目のミゼラブル・・・最悪だった。
たくさんの聴衆が入り、他のメンバーがいつものように演奏している中で、私はほとんど音を出すことができなかったのだ。その上、アンコールでは、今までこのバンドでは弾かないように戒めていたメロディーがいつの間にか自分の鍵盤からこぼれ始め、気がつくと他のメンバーは演奏を止め、客と一緒にシーンとして見ている。自分で始末をつけろということらしい。私は焦りながらも、氷のような沈黙の中でメロディーが行きつくところまで、10分くらい一人で弾き続けた。
コンサートが終わり、メンバーが人々と談笑している間、私は、自分の居場所が見つからず、スタジオから少し離れた丘に一人座り、空を眺めていた。「コンセプトから外れた演奏をしたんだもん、ああいう反応は仕方ない、甘んじて受けよう・・・しかしどうしてあんな風にメロディを弾きたくなっちゃったんだろう・・・」などと考えていると、人々の輪から外れて、メンバーのひとりがこちらに向かって歩いてくる。
私の単語力がないのを知っていた彼は、「陽子、辞書持ってこい」といい、スペルをひとつずつ言った。「H,E,S,I,T,A,T,E,」・・・hesitate=ためらう??
彼は私の目を見据えて「Don’t hesitate」そう言い残して、スタジオのほうへ戻って行った。

「ためらうな・・・」
そうか、私はいつの間にか他の人に気を使うあまり、自分を抑えてしまい、100パーセント表現することをためらっていたのかもしれない。
明日はカルテットでの演奏は最終日だ。
心置きなく自分の演奏をしよう。


10月11日
今日は久しぶりゆっくり起き、昼過ぎに出発。
列車の中で バンドのメンバーの一人が私の前に座り、きのうのコンサートを録音したCDをヘッドフォンでじっと聴きながら、私にほほ笑んだ。
その時、なぜかわからないが、ふいに涙があふれ出し止まらなくなった。
それは悲しいというのではなく、むしろ心の緊張が溶けて涙になってあふれ出すようなあたたかい感覚だった。
コンサート会場のあるFaenzaという町にあるレストランに着くと、女性のオーナーがいきなり私の手を引いて奥へと連れていく。「?」と思いながらついていくと、キッチンで働くFさんという日本人シェフを紹介してくれた。
久しぶりに日本語を話し、オープンな雰囲気の中で自分の気持ちがどんどんほぐれていくのを感じる。
コンサートは大成功。
今まで抑えていたものすべて解禁したようなのびのびとした演奏ができた。
中庭まであふれた100人ほどのお客さんは大きな拍手で湧きあがり、演奏の後はたくさんの人が話しかけ握手を求めてきた。
演奏後は、メンバーと祝杯。
ミゼラブルな思いを何度か経験した後だけに、ビールの味も格別!!
朝の4時ごろまで語り明かす。


10月12日
スイスに戻るHと駅で別れ、最後のコンサート会場があるローマへ。
店は板張りでできたステージと階段状の客席がある小さいがお洒落な空間。
店の長椅子に横になり少し仮眠をとった後、みんなで散歩へ。
疲れて意識が朦朧としているのか石畳で何回も転んだが、パンナコッタのアイスを食べたら少し元気が蘇った。
今夜はこのツァーで初めてのトリオ演奏。
会場へ戻るとたくさんの聴衆が座っていて少し焦ったが、演奏はうまくいき観客の反応も良かった。
やった~!やっと終わった~!!!!!!
祝杯をあげたあと、灯りを消しベッドに横になると、喜びが静かにこみ上げてくる・・・・・


10月13日
今日は、一日ローマ市内を観光。
古い建物を眺めながら細い石畳の道を歩いていると、時間を超えてタイムスリップしたような錯覚を覚える。
夜はディナーを食べながら、メンバーや昨日のコンサートのオーガナイザーたちと談笑。といっても、彼らは、イタリア語、ドイツ語、英語、スイスジャーマン(スイス特有のドイツ語)フランス語など、話題に応じて、スポーツのように言語をスイッチしていくので、私はもっぱら聞き役だ。ここ2週間ずっとそういう環境に身を置いていたせいか、話の内容はほとんど理解できるようになっていたが、自分ももっとしゃべることができたら・・・と切に思った。

このツァー、決して楽なものではなかったが収穫は計り知れない。
本当に自由になりたかったら、まず自分の輪郭(限界)を知ることだ、と以前音楽の先生から言われたことがあるが、今回の体験は、否が応でも私の輪郭を浮き彫りにするものだった。力が足りない部分を思い知らされた反面、今まで知らなかった自分の力に気づくこともあった。
ヨーロッパの人々(メンバー,聴衆とも)の反応の仕方は、かなり率直でシビア、しかしヒューマンだ。不本意な演奏をしたときは情け容赦ないが、いい演奏をすると、同一人物かと思うほど肩を抱き祝福してくれる。
鏡のように実像を映し出してくれるこの環境は、自分の音を鍛え上げ育てていく上で、必要不可欠なものに思えた。


投稿者 yokomiura : 12:16