« 2021年08月 | メイン | 2021年11月 »

2021年09月02日

外国に行く機会が多くなって気がついたことがあります。それは、日本人のDNAが、私の中に流れていること、そして日本人の本質をよりはっきりと理解できるようになったこと。
そのきっかけは、9.11で、ニューヨークにいた時、出会った日本人で、テロの翌日、Fさんたちもボストンに行ってしまって、一人どうしていいかわからず街を歩いていた時、本屋さんの前で広報活動をしていた日本のサラリーマンが、大変なことになっちゃいましたが、お互い頑張りましょう!と声をかけてくれ、本屋さんで帰りの便に関する情報がないか探していたけれど、店内は外人ばかりで、泣きたくなるほどドライで無味乾燥な空気の中、とりつく島もない気分で店を出ようとした時、出口にいた日本人の方が、ああ、明日から、飛行機が飛び始めるということですよ、と話しかけてくれ、ほんとに力づけられたことを思い出します。
大変な状況になった時、お互い助け合うその何気ない仕草が、日本人特有なものだと、つくづく思ったのです。その後も海外で出会った日本人の方たちは、共通して、そのような物腰を持ち、それは日本人特有なものだなと認識するようになりました。私自身、海外にいる時、トラブルに巻き込まれ、困り果てている時、フランス人の友達は、そのトラブルの相手、責め立てるフランス人の間に立ち、陽子は、典型的な日本人なんだよ。相手の非を責め合う私たちの論理とは違う、有事にはお互い助け合う態度を取る日本人なんだよ!と説明するのを聞き、あゝ、私は外国でそういうふうにみられているのか、と、あらためて日本人のDNAが、自分の中に存在することを認識しました。
フランス人だけでなく、
異民族の入り混じる厳しい世界で生き抜いてきた人々のメンタリティーは、サバンナで生きる野生動物のように、敏捷で冷徹です。常に自分の立ち位置を明確に示す。(でないと、敵にやられてしまうんでしょうね)
私も日常的に、君はどう思うんだ?と聞かれ、自分の考えを整理するために、日記をつけていたことを思い出します。
しかし、そういう厳しい日々を生きている人々だから、瞬間的に他人のことを本質的に理解するので、音楽が、よりのびのびとやれる土壌ではあります。

投稿者 yokomiura : 07:46

2021年09月01日

福岡へ来て、2か月。
最初の一か月は、東京から運び込んだ荷物を整理して、、新しいアパートの部屋づくりや、住所変更にともなう手続きに追われていましたが、2か月目には、自分たちのアパートと母の家を往復しながら、部屋づくり、押し入れの整理、網戸の補修、ブラインドの付け替えなど、目が見えなくなってからほとんど手つかずになっていた母の家の部屋の改修をしていました。
目の見えない母とのコミュニケーションは、慣れるまで苦労しましたが、最近はだいぶコツをつかみ、今日も一緒に手をつないで、散歩をし。帰りにベンチに座ってソフトクリームを食べ、おしゃべりをして、母の作ってくれた栗ご飯をもらって、帰ってきました。
その一方で、自宅でピアノ、作曲をし、ライブのプランを練ったり、仕事から帰った主人と買い物に行ったり、シンプルですが静かな生活を楽しんでいます。

視力がだんだん失われてきて最近は全く見えなくなった母に、しんどいよね?と話したことがありますが、その時彼女は、失ったものは忘れる。今からやれることで、精一杯人生を楽しむと言っていましたが、現に今も実践しているようです。
私自身、今までやってきたことを振り返ってみても、出会いと別れの連続です。
どうせ何やっても、批判、反対する人は出てくるわけだし、自分がわかっていればいい、自信を持って自分のやり方で生きようとしている自分自身の小さな存在を抱きしめてやりたいと思うのです。

最近、noteというブログのようなものに、27才に行ったインド旅行から現在に至る、旅日記を書いているとお話ししましたが 引っ越しの時整理していて見つけた旅行日誌を紐解きながら書いていると、当時全く予想してなかったその後起きることを今は知っていて、時間を飛び越えて旅をしている、まるでback to the futureみたいな気分を味わっています。 いろいろなエピソードの中に、自分が何を求めてきたかを明確に認識する手がかりがあり、また、当時書き残した楽譜の切れはしもあり、この作業、当分楽しめそうです。

ヨガを主人と2人で始めたのは40年前。 これまで、音楽活動とヨガは、別々のものとして扱いたくて、あえて主人をステージに呼ぶことは考えてなかったのですが、今回、福岡に来て、私たちがこれまで培ってきたものを思い切って表現してみようかなと考え、始めてみました。 これから、月に一回やっていきますので、また経過報告しますね。

投稿者 yokomiura : 22:27